1908年、ケンタッキー州生まれ。10代ドラマーとしてデビューし、ルイ・アームストロングと共演する。彼のレコード収録時に、ビブラフォン(鉄琴の一種。打楽器)と出会ったことによって、彼の人生は一変しました。
1930年代にビブラフォン奏者として収録した“Memories of You”が、空前の大ヒット。そのレコードを聴いた「スイングの王様」ベニー・グッドマンが、ハンプトンを自らのバンドに誘います。4人組のベニー・グッドマン・カルテットは、当時最高のテクニック、音楽性、斬新さを持ち合わせ、かつ当時は珍しかった人種を超えたバンドとして今も伝説的存在です。その後ベニー・グッドマン・カルテットから独立し、自身のオーケストラで“Sunny Side of the Street”“Central Avenue Breakdown”“Hamp's Boogie-Woogie”やテーマソングでもある“Flying Home”などの大ヒットを飛ばしました。
このような優れた演奏力を持っていたが、それ以上に優れたミュージシャンを排出したことでも彼は知られています。彼のバンドの卒業生をざっと羅列すると、トランペットのクリフォード・ブラウン、キャット・アンダーソン、アート・ファーマー、ファッツ・ナヴァロ、クラーク・テリー、クインシー・ジョーンズ(編曲も)、サックスのデクスター・ゴードン、イリノイ・ジャケー、ギターのウェス・モンゴメリー、ベースのチャールズ・ミンガス、歌手のジョー・ウィリアムズ、ダイナ・ワシントン、ベティー・カーター、ジミー・スコット、アレサ・フランクリン・・・と、そうそうたる顔ぶれ。
残念ながら2002年に他界していますが、彼の残した業績は色あせることなく、教え子を通じ今後も語り継がれていくことでしょう。
1924年生まれ。麻薬や酒に依存し、典型的な破滅的ジャズメンとして紹介されることが多いが、ピアノの技術は天才的だったと言います。
かのチャーリー・パーカーとともに、ビバップの技術を追求する正統派ジャズピアニストとしてデビューした当初、20代の時点が彼の絶頂期でした。代表作としては皮肉にも初リーダー録音を含む『バド・パウエルの芸術』があげられます。20代ながら完璧なビバップイディオムを機関車のように演奏する姿が、彼の天才ぶりを強調するように思えます。その後は破滅的人生を送り、42歳でこの世を去りますが、彼の遺した作品には輝けるばかりの演奏が残されています。
また、映画『ラウンド・ミッドナイト』で彼の生涯が描かれているので、興味をもたれた方は、是非一度ご覧になってみてはいかがですか?
1942年生まれ。ひじで鍵盤を鳴らす独自の奏法と、ピアノを壊してしまうのではないかと思われるほどの勢いで弾くことが有名なピアニストです。
1969年に『山下洋輔トリオ』としてメジャーデビューしたことがきっかけとなり、1970年代に日本で起こったフリージャズブームの先駆者として知られています。1983年にトリオを解散するものの、翌年に「シング・シング・シング」や「イン・ザ・ムード」といったスイング・ジャズの名曲を、フリー・ジャズで演奏するという趣旨のビッグ・バンド、「山下洋輔PANJAスイング・オーケストラ」を村上ポンタ秀一らと結成し、以降も断続的に活動を続けているようです。現在にいたるまでの継続的な活動によって、日本のジャズ第一人者として認知され、2003年には 紫綬褒章を受章しています。
現在もライブ活動は続けているので、興味をもたれた方は彼のオフイシャルサイトをご覧いただければと思います。また、優れたミュージシャンとしてだけでなく多才な才能をもっており、作家としての著作も多数あります。
余談ですが、いまや日本を代表する司会者の一人となったタモリこと森田一義ですが、彼を最初に発掘したのが、実は彼であるそうです。故赤塚不二夫氏にしてもそうですが、彼を巡る人間関係には一流の人間が多いものですね。